不登校の出口とは?
コロナ禍で学校という学校が休校になったのが、最近通常登校になりました。
そもそものはじまりは無能政権のくだらない政治パフォーマンスでしたが、その後も延々とその影響を受けることを強いられた
子どもたちが気の毒で仕方ありません。
ところでこれを機に、授業が大幅に遅れ、現場の教員たちが頭を悩ませる中手探りで学校業務を再開している、という話もいろいろ聞きました。
それに関連して、私の不登校観が少しずつ、変わっていることを感じています。
数年前までは某児童精神科の先生の「学校なんて行かなくていいよ」という言葉に、引っかかる感じを持っていたのですが、
現実には(言い方はあるであろうけれども極論すれば)そういうことなのではないか。
学校に行くことに苦痛を感じない児童生徒はよい。
感じる児童生徒に対しては、学校で行っていることは徹底的に白々しく、嘘くさく、わざとらしく、そこにいるのに耐えられないような
雰囲気を醸し出しているのではないか。
その現場から発せられている「教育」のメッセージはただ一つ。
「同調せよ」。
教育の本質は「100点からの逸脱可能性」とのことです。いろいろな言い方があるでしょうが、私はこの言い方が好きです。
(ところがどなたの言葉だか、不覚にも失念してしまいました)
単純化して言えば、言われたことをその通りにする人が、100点を取る、ということでしょう。教育は、子どもたちの個性を伸ばし、未来に向けて驚くような成長を遂げさせるというものが理想、ということになります。
しかし現在の国が求める人材はそうではなく、ただ「言われたことをその通りにする人間」。
そのことを様々なところから感じます。
ということで、現在私が感じている「不登校の出口」は、
学校に行かれない子どもに縄をつけて引っ張るように学校に連れていくのではなく、
現在の教育システムでは抱えきれない子どもがこんなにいるのだということを、きちんと国に届けることではないかと、そのように思います。
国のトップは、それこそ無能そのもののA首相です。
閣僚が次々辞任しても、任命責任は私にあると言いながら、何一つ責任を取らない。小学校5年生までで習う「責任」という漢字の意味、分かってる? という勢い。
質問を受けても、原稿を読むだけで、自分の言葉では何一つ語れない。
ふとした隙に相手から金をだまし取ることばかり考えている。
国語能力だって疑わしいものです。「背後」を「せご」とケアレスミス読み間違えて、試験に落ちましたなんてシャレにもならない。
(ケアレスミスなどという言い訳にしても、していい場面と、してはいけない場面があります)
ちなみに、背後 という漢字は小6までに学ぶ漢字だそうです。中学受験に落ちる可能性ありますね。
http://orange-factory.com/tool/kanjicheck.html
およそ教育の理想からかけはなれたと言わざるを得ない、こんな人間が国のトップであるという現状。
このような人物がGOサインを出した教育のモデルに、何の価値があるのか? 「学校にまじめに行って一生懸命に勉強すれば、A首相のように偉くなれるよ」と、子どもに語って聞かせる親が、果たしてどのくらいいるのか?
自分たちの頭で考え、自分たちで決めていく ということを始めてもいい時ではないかと思います。
教育も政治も。
さしあたり国民の生命を顧みない判断での五輪はありえません。
都知事選は、A首相とともに五輪に突っ走った某氏が再選にならないように祈るばかりです。
そもそものはじまりは無能政権のくだらない政治パフォーマンスでしたが、その後も延々とその影響を受けることを強いられた
子どもたちが気の毒で仕方ありません。
ところでこれを機に、授業が大幅に遅れ、現場の教員たちが頭を悩ませる中手探りで学校業務を再開している、という話もいろいろ聞きました。
それに関連して、私の不登校観が少しずつ、変わっていることを感じています。
数年前までは某児童精神科の先生の「学校なんて行かなくていいよ」という言葉に、引っかかる感じを持っていたのですが、
現実には(言い方はあるであろうけれども極論すれば)そういうことなのではないか。
学校に行くことに苦痛を感じない児童生徒はよい。
感じる児童生徒に対しては、学校で行っていることは徹底的に白々しく、嘘くさく、わざとらしく、そこにいるのに耐えられないような
雰囲気を醸し出しているのではないか。
その現場から発せられている「教育」のメッセージはただ一つ。
「同調せよ」。
教育の本質は「100点からの逸脱可能性」とのことです。いろいろな言い方があるでしょうが、私はこの言い方が好きです。
(ところがどなたの言葉だか、不覚にも失念してしまいました)
単純化して言えば、言われたことをその通りにする人が、100点を取る、ということでしょう。教育は、子どもたちの個性を伸ばし、未来に向けて驚くような成長を遂げさせるというものが理想、ということになります。
しかし現在の国が求める人材はそうではなく、ただ「言われたことをその通りにする人間」。
そのことを様々なところから感じます。
ということで、現在私が感じている「不登校の出口」は、
学校に行かれない子どもに縄をつけて引っ張るように学校に連れていくのではなく、
現在の教育システムでは抱えきれない子どもがこんなにいるのだということを、きちんと国に届けることではないかと、そのように思います。
国のトップは、それこそ無能そのもののA首相です。
閣僚が次々辞任しても、任命責任は私にあると言いながら、何一つ責任を取らない。小学校5年生までで習う「責任」という漢字の意味、分かってる? という勢い。
質問を受けても、原稿を読むだけで、自分の言葉では何一つ語れない。
ふとした隙に相手から金をだまし取ることばかり考えている。
国語能力だって疑わしいものです。「背後」を「せご」とケアレスミス読み間違えて、試験に落ちましたなんてシャレにもならない。
(ケアレスミスなどという言い訳にしても、していい場面と、してはいけない場面があります)
ちなみに、背後 という漢字は小6までに学ぶ漢字だそうです。中学受験に落ちる可能性ありますね。
http://orange-factory.com/tool/kanjicheck.html
およそ教育の理想からかけはなれたと言わざるを得ない、こんな人間が国のトップであるという現状。
このような人物がGOサインを出した教育のモデルに、何の価値があるのか? 「学校にまじめに行って一生懸命に勉強すれば、A首相のように偉くなれるよ」と、子どもに語って聞かせる親が、果たしてどのくらいいるのか?
自分たちの頭で考え、自分たちで決めていく ということを始めてもいい時ではないかと思います。
教育も政治も。
さしあたり国民の生命を顧みない判断での五輪はありえません。
都知事選は、A首相とともに五輪に突っ走った某氏が再選にならないように祈るばかりです。