正確に表現することが難しい遊び
患者さんの問診票を入力していて、ときどきクスリとさせられるときがあります。
アプルウェイ
シュアポスト
これらはいずれも糖尿病の薬ですが、どうしてそういう名前を付けたのか?
「りんごの道」「喜んでポストに投函する」
などというイメージが勝手に浮かんできて、しばらくそれに支配されてしまいました。つくづく、こういうのが好きなんだなあと思います。
例1)
子どもがやっていた教材で、カタカナを空いているマスに入れるというワークがあり、ご丁寧に6つ空いている枠には
「ピ」「ポ」「ト」「ク」「ノ」「カ」
と入れる、と書き順を添えて書いてありました。
その「ピポトクノカ」という響きが、何か日本語っぽく面白くて、そのころ少し大人びた言葉を盛んに話し出した上の子どもと一緒に
「貴様、この私を、ピポトクノカ!」(この私に、でも可)
(子どもがピストルを撃つマネをすると)「なんと、こっちに、弾を、ピポトクノカ!」
などと遊んでいました。
例2)
子どもがやっていた同じ出版社の教材で、いわゆるアナグラム、
単語の一音一音を動かして、別の単語にする、というのがありました。一緒に考えているときに、
「めやかぐひ」 → ふむ、「かぐやひめ」。
「さぶとんいりこじ」 →
ここで、入れ替えるより先に、私の頭の中には、「座布団入り居士」 というワードができあがってしまいました。
居士とは、成人男子の戒名の下につける名称のことです(女性の場合は「大姉」)。
ここから2週間くらい、上の子との間で、「いい子にしないと”さぶとんいりこじ”にしちゃうぞ」(”ヤっちゃうぞ”というのをオブラートに包んでいる)と言って脅しては横に寝かせて座布団を何枚もかぶせ、
上の子は「キャー!!」と叫ぶ、というような、曰く言い難い遊びが流行しました。
それにしても、この出版社、まるで私の弱点(?)を知り尽くしたかのような、一度誰が教材を作っているのか問い合わせてみたい、と思ってしまいました。
こういう遊びを喜ぶ子どもと「なんのことやら」となる子どもの感性は、どんなふうに違ってくるものでしょうか。
アプルウェイ
シュアポスト
これらはいずれも糖尿病の薬ですが、どうしてそういう名前を付けたのか?
「りんごの道」「喜んでポストに投函する」
などというイメージが勝手に浮かんできて、しばらくそれに支配されてしまいました。つくづく、こういうのが好きなんだなあと思います。
例1)
子どもがやっていた教材で、カタカナを空いているマスに入れるというワークがあり、ご丁寧に6つ空いている枠には
「ピ」「ポ」「ト」「ク」「ノ」「カ」
と入れる、と書き順を添えて書いてありました。
その「ピポトクノカ」という響きが、何か日本語っぽく面白くて、そのころ少し大人びた言葉を盛んに話し出した上の子どもと一緒に
「貴様、この私を、ピポトクノカ!」(この私に、でも可)
(子どもがピストルを撃つマネをすると)「なんと、こっちに、弾を、ピポトクノカ!」
などと遊んでいました。
例2)
子どもがやっていた同じ出版社の教材で、いわゆるアナグラム、
単語の一音一音を動かして、別の単語にする、というのがありました。一緒に考えているときに、
「めやかぐひ」 → ふむ、「かぐやひめ」。
「さぶとんいりこじ」 →
ここで、入れ替えるより先に、私の頭の中には、「座布団入り居士」 というワードができあがってしまいました。
居士とは、成人男子の戒名の下につける名称のことです(女性の場合は「大姉」)。
ここから2週間くらい、上の子との間で、「いい子にしないと”さぶとんいりこじ”にしちゃうぞ」(”ヤっちゃうぞ”というのをオブラートに包んでいる)と言って脅しては横に寝かせて座布団を何枚もかぶせ、
上の子は「キャー!!」と叫ぶ、というような、曰く言い難い遊びが流行しました。
それにしても、この出版社、まるで私の弱点(?)を知り尽くしたかのような、一度誰が教材を作っているのか問い合わせてみたい、と思ってしまいました。
こういう遊びを喜ぶ子どもと「なんのことやら」となる子どもの感性は、どんなふうに違ってくるものでしょうか。