希望の轍
今年の診療が12/29に終了しました。
今年は早かった、という声をよく耳にします。
新型コロナウイルス感染症というものは、私たちの生活に執拗に入り込み、「そう来るか!」というような制約をわれわれの頭上から押し付ける、ということを繰り返しています。
現在進行形で、何度となく。
さらに印象的であったのは、ウイルスへの対応に関連した世界の動向、もっと言えば、わが国での数限りない悲喜劇でした。
日本はお世辞にも、新型コロナウイルスへの対応がよいものだったとは言えないと思います。場当たり的で軸を欠いた一連の対応は、市民の心を惑わせ、浮足立たせ、何度も打ち砕きました。
人の世が、人の心が信じられないという現実を突きつけられながら、とにかく進んでいかなければならない。
一歩進めばすべてが瓦解する、というような危うさが、日常のすぐ隣に存在する。
私たちは、そんな不条理の中に押し込められたままである、と言えます。
●今年は年初めのころに、他院からあらたに精神科医師の応援をいただくことがありました。
不運にもおたがい、思うところにすれ違いがあったりして、長くお勤めいただくことはできませんでしたが、他の精神科医師の視点を垣間見ることで、自分を客観的に振り返ることができた
と思います。
あらためて、自分は「せわしない」なあ、と実感しています。自分をつねに、動的な方向に向かわせるというような、そんな印象があります。
良し悪しだと思いますが、自分としてはそれが落ち着くような感じがする、のかもしれません。
●数年前から、栄養状態が人間の心理状態について与える影響、に関心を持っていました。
受診された患者さんに採血検査をお願いすると、ある異常がみられることが高率にある(往々にして、体を調べる内科でも指摘されない異常だったりします)。
それは毎日の食事の中で工夫して改善できることだったり、またなかなか難しかったり、いろいろです。
患者さんとうんうんうなりながら、あり得る方向性を提示する、ということはこれまでもしてきたことでしたが、
この1年で私があらたに得た視点は「精神科治療の援護射撃」 としての栄養療法ということでした。
身体にさほど害にならない、ビタミン、ミネラル、はたまた薬剤、それらを取り込むことにより、以前から行っている治療の効果を高める。
そうした試みは、えてして、精神科治療が一通り形がついた後も、患者さんに受け入れられ(続け)る、ということが多い気がします。
●多くの視点を得るほど、「とにかく前に進まなければ」というジレンマな局面に陥ることを多く経験します。
環境がこんなに悪いのに、あるいは、栄養状態がこんな状態であるのに、とにかく受診された患者さんに応えるために、どうにかしなければならない。
そんな閉塞的な状況で、とにかく行動する、と打った一手が、意外にも形になったりすることがあるのです。
なぜ、鉄がほとんど体の中にない状態で、人間が死ぬ、ということがないのか。本当に不思議に思います。
…
書いていることは昨年末とあまり変わりがなく、変わったことと言えば、単なるアイディアのいくつかは実行するとか実を結ぶに至った、
ということでした。方法論だけならば当院での治療はほぼ完成した、と言っていいのかもしれない。あとはそれを地域でいかに形にしていくか。
…
筆舌に尽くしがたいのは、新型コロナウイルス感染症の惨状です。
前向きに来年を見据えるのは、とても難しい状況ではありますが、この世界が少しでもよくなっていくことを祈るしかありません。
来年もよろしくお願い申し上げます。
今年は早かった、という声をよく耳にします。
新型コロナウイルス感染症というものは、私たちの生活に執拗に入り込み、「そう来るか!」というような制約をわれわれの頭上から押し付ける、ということを繰り返しています。
現在進行形で、何度となく。
さらに印象的であったのは、ウイルスへの対応に関連した世界の動向、もっと言えば、わが国での数限りない悲喜劇でした。
日本はお世辞にも、新型コロナウイルスへの対応がよいものだったとは言えないと思います。場当たり的で軸を欠いた一連の対応は、市民の心を惑わせ、浮足立たせ、何度も打ち砕きました。
人の世が、人の心が信じられないという現実を突きつけられながら、とにかく進んでいかなければならない。
一歩進めばすべてが瓦解する、というような危うさが、日常のすぐ隣に存在する。
私たちは、そんな不条理の中に押し込められたままである、と言えます。
●今年は年初めのころに、他院からあらたに精神科医師の応援をいただくことがありました。
不運にもおたがい、思うところにすれ違いがあったりして、長くお勤めいただくことはできませんでしたが、他の精神科医師の視点を垣間見ることで、自分を客観的に振り返ることができた
と思います。
あらためて、自分は「せわしない」なあ、と実感しています。自分をつねに、動的な方向に向かわせるというような、そんな印象があります。
良し悪しだと思いますが、自分としてはそれが落ち着くような感じがする、のかもしれません。
●数年前から、栄養状態が人間の心理状態について与える影響、に関心を持っていました。
受診された患者さんに採血検査をお願いすると、ある異常がみられることが高率にある(往々にして、体を調べる内科でも指摘されない異常だったりします)。
それは毎日の食事の中で工夫して改善できることだったり、またなかなか難しかったり、いろいろです。
患者さんとうんうんうなりながら、あり得る方向性を提示する、ということはこれまでもしてきたことでしたが、
この1年で私があらたに得た視点は「精神科治療の援護射撃」 としての栄養療法ということでした。
身体にさほど害にならない、ビタミン、ミネラル、はたまた薬剤、それらを取り込むことにより、以前から行っている治療の効果を高める。
そうした試みは、えてして、精神科治療が一通り形がついた後も、患者さんに受け入れられ(続け)る、ということが多い気がします。
●多くの視点を得るほど、「とにかく前に進まなければ」というジレンマな局面に陥ることを多く経験します。
環境がこんなに悪いのに、あるいは、栄養状態がこんな状態であるのに、とにかく受診された患者さんに応えるために、どうにかしなければならない。
そんな閉塞的な状況で、とにかく行動する、と打った一手が、意外にも形になったりすることがあるのです。
なぜ、鉄がほとんど体の中にない状態で、人間が死ぬ、ということがないのか。本当に不思議に思います。
…
書いていることは昨年末とあまり変わりがなく、変わったことと言えば、単なるアイディアのいくつかは実行するとか実を結ぶに至った、
ということでした。方法論だけならば当院での治療はほぼ完成した、と言っていいのかもしれない。あとはそれを地域でいかに形にしていくか。
…
筆舌に尽くしがたいのは、新型コロナウイルス感染症の惨状です。
前向きに来年を見据えるのは、とても難しい状況ではありますが、この世界が少しでもよくなっていくことを祈るしかありません。
来年もよろしくお願い申し上げます。